番号 | 船 名 | 製作者 | 番号 | 船 名 | 製作者 | ||
No. 1 | コンスティテューション | 岡本 喜郎 | No. 6 | ゼーベン・プロヴィンセン | 濱中 聖之進 | ||
No. 2 | ペリー黒船艦隊と横浜村 | ジオラマチーム | No. 7 | 日本丸(新) | 佐々木 紀典 | ||
No. 3 | トロタマーレス | 肥田 純 | No. 8 | 日本丸(新) | 三塚 康典 | ||
No. 4 | 老人と海 | 五十嵐 康晴 | No. 9 | IGARASI | 加藤 嘉明 | ||
No. 5 | シャペロン | 肥田 純 | No.10 | 金華山丸 | 竹本 喜道 |
No.1 コンスティテューション
(CONSTITUTION)
制作者:岡本 喜郎 船 籍:アメリカ 建 造:1797年 縮 尺:1/76
キット:モデルシップウェイ
1797年に建造されたアメリカのフリゲート艦。アメリカ特産の樫材が使われ、舷側の厚さは最大90㎝もあったという。1812年の米英戦争の時、英国艦との至近距離での砲撃戦において舷側を破られなかったことから、以来「オールド・アイアンサイズ」と称され、今も現役艦扱いでボストン港に係留されている。
No.2 ペリー黒船艦隊と横浜村
製作者:ジオラマ製作チーム 船 籍:日 本 建 造:1854年 縮 尺:1/400~1/1000
キット:自 作
嘉永6年(1853)ペリー提督率いる黒船艦隊の浦賀沖への来航は、徳川200有余年の鎖国政策終焉の時をもたらした。 翌年再来日して日米和親条約を締結し、神奈川湊(現在の青木町付近)から横浜村へと開港の場を移し横浜港が開港され、日本が近代国家への道をたどるターニングポイントとなった。
横浜帆船模型同好会は、40回記念展のイベントの一つとして、かつてこの地で繰り広げられた黒船来航という歴史的一場面をジオラマとして製作した。
No.3 トロタマーレス (TROTAMARES)
製作者:肥田 純 船 籍:スペイン 建 造:現 代 縮 尺:1/86
キット:自 作
古い漁船を改造してチャータークルーズ専用のスクーナーとした船。このジオラマは、地中海の人気のない入り江でクルーズ客がダイビングなどで楽しんでいる情景です。海底が見える様子を楽しんで下さい。
No.4 老人と海
製作者:五十嵐 康晴 船 籍:ー 建 造:ー 縮 尺:1/18
キット:自 作
ヘミングウェイの「老人と海」の1シーンをジオラマ化しました。あらすじはキューバの老漁師サンチャゴ(Santiago)が、数か月続く不漁のため独り小舟で漁にでた。やがて巨大なカジキが針に食いつき、三日にわたる死闘の末カジキを仕留める。
カジキを船の横に縛りつけ港に帰る途中鮫の群れに襲われ老人は必死に闘うが、港についたときカジキは頭と骨だけになっていた。老人は粗末な小屋に帰り古新聞を敷いたベッドで死んだように眠った。老人はライオンの夢を見ていた。
製作にあたり、老人とカジキは石粉粘土で製作しました。
No.5 シャペロン (CHAPERON)
製作者:肥田 純 船 籍:アメリカ 建 造:― 縮 尺:1/72
キット:自 作
オルゴールで、照明付きです。
No.6 ゼーベン・プロヴィンセン
(DE ZEVEN PROVINCIEN)
製作者:濱中 聖之進 船 籍:オランダ 建 造:1665年 縮 尺:1/120
キット:自 作
オランダ海軍の80門二層甲板艦。ミヒール・デ・ロイテル提督の旗艦として活躍し、解体されるまで数多くの戦果を残した。
本作品は穏やかな海上を航行する本艦の雄姿を表現したもの。セールの膨らみから海上の風を感じていただきたい。アリのように小さい乗組員の服装は当時のオランダの絵画を参考に製作。最も苦労したのは、小さなデッドアイやブロックの製作、さらにそのリギングだった。極力机上作業とし、専用の治具まで作って製作したが気の遠くなるような作業だった。
No.7 日本丸(新)
製作者:佐々木 紀 船 籍:日 本 建 造:1984年 縮 尺:1/160
キット:ウッディジョー
申し込み時点では未完成で、展覧会までにどこまで進むか判りません。オリジナルのキットでは、甲板は一枚板の上に鉛筆で線を描くようになっていたが、細材を一本一本貼り合せ、かつそれらの細材が一直線上にきちんと並んで配置されるよう苦心した。また、舵は船体に直接固定し動かない形式から動かせるように取り付けた。
なお、ボートはアルミダイキャスト製から、粘土で型を取り、キールとフレームを自作し、外板を貼り合せて別に作成した。スクリューブラケットの下面は、左右共水平になるように船体に貫通穴を彫り、そこに細板を通して製作した。
No.8 日本丸(新)
製作者:三塚 康典 船 籍:日 本 建 造:1984年 縮 尺:1/160
キット:ウッディジョー
昭和59年9月初代日本丸の代替船として建造された。全通船楼甲板、4本マストバ-ク型帆船、全長110m、総トン数2,570トン、航海速力13ノット、横帆・縦帆各18枚、メインマストの高さは水面上約55m、乗船人数190名で、近代的居住設備と海技習得など教育・艤装施設を完備している。姉妹船海王丸と共に日本が誇る世界でも有数の大型帆船である。
模型製作では、実船により近づけるように舵、プロペラ軸受け、上甲板など改造している。帆の形状は、左舷後方からのやや弱い追い風を受け航走している形状とした。
No.9 IGARASI
製作者:加藤 嘉明 船 籍:日 本 建 造:1971年 縮 尺:1/45
キット:自 作
この船は、1971年4月に国内の造船所で建造された木造の外洋ヨットで、外板はアフリカ・マホガニーの2重貼りのニス塗りカスタム艇のモデルである。設計者は米国人でワシントンカップレース用に設計されている。その性能は日本の荒波に強く、日本の外洋ヨットレースで常に優勝したヨットである。船型の特徴は喫水線の上方に大きく張り出したタンブルフォーム(酒樽型)があり強風による傾きを防ぎ、船底に取り付けられたバラストの後部に一体化したトリムタブを設けてある。
No.10 金華山丸
製作者:竹本 喜道 船 籍:日 本 建 造:1897年 縮 尺:1/120
キット:自 作
金華山丸は宮城県石巻市女川の遠藤英四郎が建造保有したアメリカ式捕鯨船で、明治時代後期に活動した。アメリカ式捕鯨船は明治期に3隻建造された記録があり、金華山丸はそのうち最大の船である。明治40年(1907年)には260頭の鯨を捕獲し、280石の鯨油を生産したとの記録が残る。その後ノルウェー式近代捕鯨船が登場してきてアメリカ式捕鯨船は衰え、1916年(大正5年)遠藤が死去して金華山捕鯨会社は終焉した。
断片的な図面が残っていてそれを参考に創作設計した。帆船模型と機帆船形式の2種類の資料があり、この模型は機帆船形式で製作した。