木製の帆船模型
ある時会社の営業部に勤務していた若い人が、私が模型を作っていることを聞きつけて大きな箱を持ってきました。小松さんなら模型は作っているし、技術屋さんだから図面が読めるだろう。この作り方を教えて欲しいと我が家を訪れたのです。そこは好きな道断るわけはありません。
箱の外を見ました。船であることはすぐ分かります。だけど文字が読めないのです。その営業マンは貿易を担当していました。だから英語はペラペラなんです。その彼が読めないと云う。語学ぼけの私が読めるわけがない、よく箱の外を見るとメイドインイタリヤの文字が目に入りました。なんだイタリアだぞ、こんなもの読めるわけがない。だけど図面は音楽の楽譜と一緒で国境がない。何とか立体の姿は想定する事ができました。
私に作らせてくれないか、彼はうんとは云わなかったのです。箱の中を見るとプラモのキットとは大きく違っていて、ただ組み立てて塗ればできあがると言うような中身ではなかったのです。入っていたのは小さい板の束、金属の部品、作り方としては見当も付かないものでした。当時鉄道模型を手がけていた私はここでまた帆船模型のキット探しが始まりました。
キット入手
いまのシャル、当時は駅ビルと呼んでいました。横浜駅のビルで鉄道模型の部品だとか製品をよく買っていた模型屋さんがありました。蛇の道は何とか、帆船模型のキットを売っているところを知らないかと尋ねました。確か本店にあったと思いますよと云う返事、早速伊勢佐木町の日活会館にあった本店を訪れました。怪しげなひげを生やしたお兄さん、ぶっきらぼうにあるよとの答え、多少短気な私はぐっと来るものがありましたが、目の前に広げられたキットの数々、鉄道模型の話なんかをしていたら、向こうもすぐこいつは並のモデラーではないなと感じたのか応対が変わってきました。
初めてということであまり飾りの付いていない、やはりイタリア製のキットを選びました。帰りにはすっかり彼ともうち解け、横浜でのモデラー入りを許されたのです。
これでやっと実際に作りながら例の営業マンに作り方を教えることができるようになったのです。
最初に購入した帆船模型キットの中に入っていた製作説明書。
当時のことで言葉はイタリヤ語のまま、読めるわけがない。頼りになるのは図面だけど、これがまたいい加減、イタリヤ特有の大雑把さ、この後頼れるのは自分の腕と勘だけ、帆船模型作りも当初はこのように苦労の連続
製作に着手
先ほども云ったように文字、文章は全く参考にもなりません。頼れるのは図面の解読力と今までの模型製作経験、勿論当時は帆船模型の参考書があるなんて云うことは全く知らなかったのです。それでも無謀にも作り始めました。営業マンと競争を挑みました。作り方は教えるがどちらが早くできあがるかと。それでも3ヶ月かかってしまいましたが競争には見事勝ちました。勝てるはずです。彼は未だに完成していないんですから。
銀座の模型店
鉄道模型を永年やっていたので、銀座の天賞堂はよく訪れていました。東銀座にも車両部品で非常に精密なロストワックス製品を置いている店もあり時々覗いたことがあります。ある時家族を連れて日曜日の歩行者天国をぶらついていました。
銀座3丁目あたりだったでしょうか、帆船模型を10数隻飾ってあるディスプレーを見つけたのです。丁度帆船模型を作り出した頃です。
そこにいた人に聞きました。何か模型倶楽部でもあるのですか?
答えは、ある銀行で帆船好きな人が作ったものを集めて展示したもので、クラブと云うようなものではありません。だから定期的に開催しているわけではなくて、今回限りですという話、犬も歩けば・・・でうまく偶然に接することができたのです。そして彼からビッグニュースを得られました。向かいの通りに伊東屋と言う大きい文房具店がありそこで帆船模型の展覧会を見たことがあるし、どうやらキットも売っているらしい。
思い出しました、会社の帆船模型を持ち込んだ彼も同じようなことを云っていた。待ったなし伊東屋さんへ直行。
驚きと感激
へー、銀座にこんな大きな文房具店があったのか。文房具だけではありません。工具、工作機械・素材と、私の好きなもの何でも揃っている。当時東急ハンズはまだなかったと記憶しています。驚きと同時に大感激でした。しかも期待した帆船模型キット、部品、資料ともり沢山、しばらくは呆然としていました。勿論鉄道模型もずらり。この店で欲しいものは全部揃ってしまう。
すぐ帆船模型展のことを聞いてみました。今年はとっくに済んで次は来年のお正月に開く予定と云うことだったのです。すんでしまった展覧会というのがどうやら第1回展のことだったようなのです。その日は帆船模型の売場の大きさと種類の豊富さに圧倒され、これなら日活会館の模型店“ビッグボーイ”とは比較にもならないと胸を膨らませ、ゆっくり後日訪れることにしました。
銀座通い
こんなことを言うと夜の銀座通いと間違われるのが常です。だけど私の場合は違います。
昼の銀座通いなのです。休日は勿論、会社の出張で都内に出かけたときも用件を早く済まし、また都内での諸会議、製品見学会と機会ある毎に伊東屋さんに立ち寄りました。
今だから云いますが時には規格協会へ相談に行ってくるよとわざわざ仕事が増えることもありました。
資料・材料・工具がどんどんたまり収納に困ることもありました。
今ではお店の幹部として活躍されている方達も、店頭ではお見かけするチャンスが無くなりましたが当時は皆さん第一線でよくお話をしました。まるで帆船模型モデラーの集会所になっていたのです。
もうこの辺ではすっかり帆船模型モデラーに転身していました。
帆船模型展
本格的な帆船模型展を初めて見ました。これが第2回の伊東屋でのザ・ロープ展だったのです。当時私は生まれて初めての大病を患い自宅療養中だったのですが、妻に銀座で食事をしようとうまく丸め込み、伊東屋の展覧会に立ち寄りました。そんなことはとっくに見破られてはいたのですが、何かがあっては困るので付き添ってくれたのでしょう。
病院長からあなたは心筋梗塞だよと告げられたのですが、これは私が二日酔いの重い症状だと宣告して入院したので後の話でかなり誇張し告知したものと思われます。その後の診察で梗塞の後が見られないことから狭心症発作の重い状況だということだったようです。
別の意味で帆船模型を見て心臓が踊りそうになりました。素晴らしいの一言です。
私が初めて作った作品など比較のしようもありません。それまで色んな模型に関係してきたこともあって、自分の作品に多少自信は持っていたのですが、暗闇でぐわーんと頭をぶつけたような感覚に襲われました。
そのときの感激を文章で表現せよと宿題を受けても、とても書き表せないほど感激しました。
会場に芳名簿が備えてあり、勿論署名をしました。これがきっかけで横浜での会が発足するときに深く関与するきっかけにもなったのです。
会場ではすぐにでも入会したいのだがと持ちかけましたが、なかなかOKの返事がもらえなかったのです。
もうこの辺ですっかり帆船模型界に深くはまり込むトリガーになった帆船模型展に心を惹かれたまま、次の作品作りを考えていました。