時を忘れ、または忙しい思いをしながら、苦労して作り上げた作品、帆船模型とは限りません、これらを自宅に保管し、ケースに入れて毎日手軽に眺められる人は幸福そのものです。私の場合家族が多く、専用工房ももてない状況で陳列ケースに入れて保管する余裕がありません。知人の中には公共機関に寄付した人もいて、作品は手元にないが名誉は残す人もいます。私の場合、置く場所もなく多くの作品がどこかに消えてしまいました。かろうじて写真を残したものは人に見せることもできますが、全く影すら見えないものも沢山あります、これらは自分の腕にすべてを変換し、工作力の栄養として残すことにしています。希望としては自分のミュージアムをもちたかったのですが、現実は大きくかけ離れ統べては叶わない夢として心と腕の中に凝縮しました。
初期は多くのモデラーがそうであるようにやはりキットから作りはじめました。はじめはしゃにむに作ることが楽しみでわき目もふらない状況がしばらく続きました。だから1年に2隻も作るというスピードぶりでした。それが数隻目ともなると、やたら外部からの情報が増え、キットの説明以外に本物の船の知識が増える毎に、船作りの速度が急激に落ちます。例えば外板ですが、はじめはキットに入っていた材料を長いまま使っていました。ある人から「それを72倍してごらん何メートルになる」なるほど50メートルの板なんてそうあるもんではない。さてどのくらいにするのか、そのうちスチーラーを入れるとか、そして初期は誤っていても許してもらえたことが、キャリアが増えるに従って人の見る目が厳しくなり、進言する人が誤った船を造っているのにやたら人の欠点は目に付くと見えて貴重な意見をどんどんいただくようになります。私としてはキットを作っていて何処まで本物を追求できるのか疑問でナンセンスなんですが、それでも無理して本物に近付けようとします。こんな事で作るたびに作品の質も変わっていくのです。それでは今まで作った作品についてのエピソードを語ってみましょう。
○ ハーフムーン
確か3隻目の作品です。出来があまり良くないのでだれも持っていかないし、長い間我が家の片隅で出陣を待っていました。それが横浜帆船模型同好会の20回記念展覧会でガリーバーのジオラマを作ることになり、その中で船を浮かべたい、というレイアウトになってハーフムーンが欲しいとジオラマの作者から話が出たので、あることはあるがリニューアルしないとどうにも食えない作品ですよという条件で提供しました。これを会員の人が手入れしてくれ、立派な作品に変貌しました。この船は展覧会の呼び物的存在となって展覧会入場者に抽選で当選者に賞品として無料提供しました。
○ ラ・ミラージュ
会社関係で購入先・私的には友人の社長がこの船は素晴らしいと我が家にきたとき連発していました。帰り際になって、「これ持っていくよ」「おい一寸待ってくれ、やるとは云ってない」「次の船のプレートを只で作ってやるよ」彼はプリント基板を作る会社を経営していました。エッチングはお手の物です。この甘言にまんまとのって又一隻が消えてしまいました。
○ ラ・クローン
この船は自分で出来映えがよいと思っていたので展覧会に出品するつもりでした。そこへ子供の時からの親友がきて、丁度家を新築したばかりと云うことで、是非俺の家を飾ってくれと懇願されました。その上自分たちには子供がいないのにお前のところには4人も娘がいる、誰か一人を養女としてくれないかという条件付きなのです。私も娘達にいずれはお嫁に行くようになる、彼の言うことを聞いて養女にならないか、彼はお金持ちなので経済的な心配は要らないと解いてみたが誰もそっぽを向いてしまい、船だけがお嫁入りしてしまったのです。無惨にも我が家には図面だけが残っています。
○ リラ・ダン
我が家に残っている数少ない作品の一つです。初めて塗装重点のモデルを作りました。プラカラーを10数回塗りそれもスプレーだとプラモに見えてしまうので、本物同様手塗りにしました。仕上げ塗りも計算すると20回くらい塗料を重ねたことになります。表面は光沢がありますが昔ザ・ロープの展覧会で見た底光のする効果がやっと出ました。プラモの経験はかなりあるつもりですが、プラモの時はスプレーで一気に塗っていたのでプラモ感が強烈に出ましたがこの作品は塗りムラあり、傷もあり、それでぼやーと光っているということで非常に暖かさを感じる作品になりました。
昨年北欧旅行でデンマークのコペンハーゲンによったとき偶然本物を見つけました。勿論カメラに納めたのですが、我が作品そっくり、感激しました。
○ ワ サ
一時ワサが流行りました。私が展覧会に出品したときはワサばかり5隻も出品されたのです。当然展覧会では穴があくほど見つめられます。会員からはどれが一番だと多分好みと思いますがランクのラベルを貼り付けられます。個人批評ですから人によってランクが変わります。丁度テレビでやっている “この男とは寝たくないベスト5” の感じであまり気持ちのいい思いをしなかったことを覚えています。この船は現在我が家で保管していますが、糸が腐蝕でバラバラに切れています。で時間が出来たらリニューアルして知人にお嫁入りすることになっています。何やら置き場所も決めているようですがまだ約束を果たしていないので困っています。
昨年WASAを見たさに北欧旅行しました。本物も目の前でみてきました。もう一度キットではなくゆっくり作ってみたい船です。
○ カティーサーク
私はカティーサークは大砲を積んでいないのであまり好きなタイプではない。だからキットを買ったこともない。それなのになぜ作品としてあげたのか。これは訳ありで、会社の同僚から帆船模型を始めたいが何がいいかと相談を受けました。初めてやるなら板曲げが楽で見栄えの良い、しかも多くの人が知っているウイスキー同様名前の通った船だからと薦めたのです。しばらくは私の教えを請いにきたが、彼も多くの趣味を持ち大変忙しい、そのうち来なくなりました、この男、教えても俺流で作ると云うほど私の云うことを聞かず身勝手な人でした。どうしたのと聞いたら途中で難しくて投げ出したという話です。それならということで引き取り大分手を加えました。そうしたら見栄えが良くなったので、これは俺の船だと途端に権利を主張し、持ち帰ってしまいました。こうなると子供同然。おおらかな私はお役に立つならと、腹も立ちませんでした。
○ サン・フェリーペ
いろんな雑誌だとか単行本に作品写真を掲載していただきました。ただ不満足なのは確かアマティのキットだと思いますが、全体にデフォルメが極端で、どう考えてもこんな船はないぞと云う不満を持ちました。デッキが変形しており格好はよいので作る気になったのです。
展覧会に出品して、しばらくしてから横浜帆船模型同好会の会員で東京商船大学の教授として、教鞭を執っていられました某教授から作品を家に置いとくと狭くてしようがないでしょう。良かったら大学の中に明治丸があり、その船室の中にコーナーを設けるので預ける気持ちはないかと持ちかけられました、これは名誉な話しだし、確かに置き場にも困っていたのですぐOKで明治丸に運ばれました。その後何回か明治丸を訪れようと思ったのですが未だに機会をもてません。
○ ラ・レアル
もうそろそろキットから離れようと考えていたときです。会員の正垣さんが飾りはフランスのエレール社から出ていたプラモの飾りを使ってソレイユ・ロワイヤルを作るんだという話を聞きました。丁度私もそろそろキットは卒業したいと考えていたところで、私はラ・レアルの製作を計画しフレームなんかは作っていました。資料はこれもフランスのスタブ社のものからスケッチしました。正垣さんの話では確かラ・レアルもあったよという話でした。それから模型屋さんと百貨店巡りが始まりました。20数軒回って池袋の西部デパートでやっと見つけました。腰が折れそうでした。プラモにしては一寸高いかなという感じだったのですが、それは箱を開けたとき納得できました。なんと922点の部品が入っているのです。そういえば部品点数の多いのがエレールの特徴と聞いていたのを思い出しました。素晴らしいキットに感激してこのままプラモを作ろうかとも思いました。だけどそうもいかないとスタブの図面に飾りの部分を合わせてみたのです。そうしたら何とぴったり合うではないですか。
こうなると自然に熱が入ります。とにかく中途半端な作品ですがキットを使用しない自作の作品が出来たのです。この作品も多くの本とか葉書などに使っていただきました。現在我が家の守護神として玄関に飾っています。
○ フランスの74門艦
これだけで長編記録になるので別ページで詳しく説明します。何しろ製作開始して現在の形まで10年間かかったという伝説的模型です。これで本物の帆船というのはこうなんだ、ということがよく分かり、本当に艦上の人に成ったと実感の沸く作品です。
○ ユニコーンとインディスクリート
「左右の船は行方不明になりました。もしお心当たりのある方、又は見かけた方は是非作者までご連絡下さい。」と前回のホームページに掲載しました。その後連絡はありませんその筈です。どうやらこの船は埃が一杯付き、捨てようかで壊してしまったのです。とにかく初期の作品であまり未練もなかったようです。インディスクリートは銀座の伊東屋さんでザ・ロープの展覧会に初出品した記念作品ですがこんな調子であまり過去の作品に思いを残さないのも私の性格のようです。
このホームページも作品の一つです。
データ量が多く、作るのに大変時間とエネルギーが要ります。ホームページ作りのセオリーとして、内容は軽く、しょっちゅう追加すると見てくれる人が増えるよとか、動くイラストを付けると華やかでと聞いたりするのですが、私の場合これらのセオリーには従っていません。内容は大変重く、あまり追加、改変をしないので代わり映えもしません。どうせ作るのならそこえ集中しようと云うのが私流です。だからどうしても作るときに力を入れるので重くなってしまい、途中改変どころではなくなります。
しかも船は造る、パソコンはいじくる、それも文だ、グラフィックだ、ビデオ編集だと大変なマルチぶりこんな事情でご容赦願います。
パソコンで本を作る
パソコンを使うようになって文書記録は、その多くを残すことができるようになりました。ホームページは勿論、自分史、旅行記、作品写真、これらをフロッピーディスク、MO、HD、製本と色んなメディアで残していますが、本1000冊分くらいでも机の引き出しに簡単に入り込んでしまいます。これからも模型作品は残らないでしょうが、それらの写真、製作過程は詳細に残すことができるようになりました。
今CD-Rドライブを購入計画中ですが、CD-Rで記録を入力すれば、人への提供も簡単にできるようになります。大いに活用したいものです。模型作りと平行にパソコン使いも趣味となってしまっています。
前回のホームページも本向けにある程度編集のやり直しをして、プリントアウトし、製本しました。世界でただ1冊の本です。今回も製本したいと思っています。これも作品の一つでしょうか。