はじめに
ぼくは年寄りだが、帆船時代を生きたほどの年寄りではないから当時の本当の姿は知らない。しかしその時代に大変興味があって、海洋小説やドキュメント類を読み漁ったのは間違いない。そうして得た知識の一端を前に「ご存知かもしれませんが」シリーズでいくつか披露している。
先日、何人かの仲間と話をしていたら、「錨索孔」が2つあるのはなぜかということが話題になった。1つは当然主錨のホーサー(主錨索)を通すためにある。もう1つは予備錨を使って作戦用や碇泊時の船体回転に使用(これを「スプリングをとる」という)するためにあるのだと説明したら、そんな話は初めて聞いたということだった。その実際に使う様子は、ボライソー・シリーズの第3巻「わが指揮艦スパロー号」に出ていた記憶がある。
そんなわけで、単に物事の知識の記述ではなく、帆船時代の海軍でなぜそう使われたのか、あるいはなぜそういう資格が必要なのか、だれが何をしたのかなどを、なるべく実際に基づいたお話として記録に留めようということになった。それがこのシリーズだ。新進気鋭の艦長が勤務するフリゲート艦を例に話を進めてみよう。「ご存じかも」シリーズの変形といってもいい。読み物としてはいくらか退屈かもしれない。しかし、軍艦の運用は基本的に同じようなもので、自分の作る船がどのような環境で運営されているのか、どういった人たちが携わっているのかを知るのも模型造りの興味の一端だろう。
このシリーズは実際の艦長業務の話に入る前に、フリゲート艦の艦長なら熟知している海軍の軍制について最初に触れることにする。どういった階級の人がどんな役割をするのかという知識を少しでも知っておくことは話を進めるうえでの基礎となる。例えば、なぜ海兵隊が水兵を監視する必要があるのかなどはこういった基礎知識がないと理解しがたい。少し長く退屈でもぜひ読んでいただきたいのだ。もちろんぼくはその道の学者でもなければ専門家でもないからがすべてを知っているわけではない。いろいろと推測する部分もあり、実際と違っていることもあるかもしれない。もし違っていることがあったら遠慮なく指摘して頂ければ幸いだ。
海洋小説の事実がかなり信頼できる理由
海洋小説は文字通り小説だから、一次資料でないことは当然だ。しかし、後から説明するように「英国海軍の軍艦は海に浮かんでいるのではなく、書類の上に浮かんでいる・・・」と冗談にいわれたように、英国(ばかりではないだろうが)海軍の記録は詳細を極め、士官たちはかなり記載に忙殺される。またその記録が長いこと保管されているらしい。戦闘詳報なども当然保管されているし、それを読むことは一般人でも可能と聞いている。小説を書くにあたってこれを利用しない手はないのだ。
もちろん主人公は架空の人物ではあり、戦闘場面などいろいろ細工はしているだろうが、事実の経過などは著者が工夫するより実際の記録を利用した方が現実味を帯びる。特に物語ではなく、当時の事実については忠実に再現する方が読者の共感を得るだろう。いろいろな戦闘場面を組み合わせたり、時には時制を変えたり、こまかい部分を創作したりはもちろん小説家の自由ではある。しかし、多くの小説で実在の提督の名前がかなり出てきたりするから、本物の資料に基づいていることを示唆しているといっていい。ぼくが海洋小説の特に事実関係を信頼するのは、そんな理由があるからだ。
ぼくの知識の大部分は海洋小説と文献で、その多くは英国海軍を描写している。したがって以下の説明は原則として英国海軍を基にしたものだとお断りしておく。
フリゲート艦の艦長になるまで
あなたがフリゲート艦の艦長だったら、どんなに若くても 20歳代の後半、おそらく 30歳代の前半だろう。18世紀でも海軍の軍人だからといってすぐ艦長になれるわけではない。11歳ごろに先ず士官候補生として軍艦に乗り込んだはずだ。当時は士官候補生を養成する学校なんぞはなかったから、いきなり実戦配備され、士官や准士官にこき使われ、実戦で仲間を失うこともあっただろう。
オーロップデッキという、砲列甲板の下、海面下でいつも暗い甲板にある士官候補生用の居室はガンルーム(下級士官集会室)と呼ばれ、戦闘時には戦時手術室となる。15歳まではヤングスターあるいはヤングジェントルマンと呼ばれ、午前中は航海術、天測などの指導を教官から受けるが、午後になると当直士官の監督下で実地訓練を受けた。士官からの報告を艦長に伝える伝令役はいつも士官候補生だし、何をぼやぼやしていると怒られることも日常茶飯事だったに違いない。特に信号係の役につく場合は、旗艦からの旗流信号を見落としでもしようものなら、生きていられないような思いもしただろう。
やっと実務にも慣れ、部下を使う方法も覚え、叩き込まれた航海術や信号解読にも慣れて15歳になると、オールドスターと名を変えて教官からも解放され、酒も飲めるようになった。住居もオーロップデッキの後部にあるコックピットの候補生用の居室に移った。19歳になり、6年以上の海軍勤務経験があると認められたころ士官昇任試験に出ることを艦長から許されたはずだ。
あなたは何人かの士官候補生と共に試験会場に臨んだに違いない。5、6人のベテラン艦長たちが集う試験会場で、意地悪な航海術、砲戦の方法など多くの質問にへどもどしながら回答し、なんでこんな質問をと相手を恨んだかもしれない。しかし、試験官の立場からすれば、士官というのは海戦でどんな悲惨な環境にあっても、直ちに沈着冷静に物事を判断して行動するだけの資質がなければならないから、いかにそれを確認するかが大事なのだ。
なんとか合格して士官になったあなたは、最初の配属艦が一等級戦列艦だったら「八等海尉」から勤務を始めたことだろう。海尉の等級は先任順に決められるし、艦の等級によって士官の定員は違うから移った艦によって等級は変わる。勤務成績が優秀だったあなたは、数年の勤務で一等海尉(副長)にまで昇任したはずだ。多忙な副長の職務を無事にこなしていたある時、昇任試験を受けて(あるいは戦時任命で)海尉艦長(コマンダー)を獲得したに違いない。
若い海軍軍人にとって一艦の艦長となるのは夢だといっていい。たとえスループ艦という小型艦種であっても神の如き艦長という職務に就けることは夢の実現だ。左肩に1つだけ肩章をつけ、乗組員には艦長(キャプテン)と呼ばれても公式には必ず「コマンダー」といわれるが、それでも軍艦の指揮官であることに変わりはない。士官とコマンダーには越えがたい境界がある。あなたが海尉艦長に任命され、艦上で任命書を読み上げたときの感慨は、一生忘れがたいものがあったに違いない。
こうして数年間、コマンダーとしてあなたは大いに活躍し、海軍本部の目に留まったのだろう。あるいは人を見る目のある上級士官が推薦してくれたのかもしれない。またあなたの家柄も考慮されたのかもしれない。海軍本部からの通知で、あなたは無事艦長(キャプテン)の資格を獲得したのだ。
左の図は 1782年に建造されたもっとも大型のフリゲート艦でHMSアーゴという。五等級艦に相当し、多くのフリゲート艦の砲列甲板は 1層だが、大型艦のために砲列甲板が 2層ある。下層砲列甲板に 18ポンド砲 20門、上層砲列甲板に 12ポンド砲22門、合計 44門艦だ。なお艦首にバウチェイサーだろうが、6ポンド砲が 2門ある。長さ 42.4m積載トン数は 894トンという。乗組員は 300人で、このクラスの艦長はかなりのベテランだろう。
キャプテンという地位
あなたがフリゲート艦の艦長なら、前述のように身分は「キャプテン」でなければならない。キャプテンとは単に艦長という意味ではなく、当時の英国海軍の厳格な身分制度の中の地位を示す言葉と理解する必要がある。他の国々も多かれ少なかれ、似たような制度をもっていたはずだ。
帆船時代の英国海軍の軍艦を指揮するには厳格な資格が必要だった。
艦隊(フリート)を指揮するのは「提督(アドミラル)」
戦隊(スクワドロン)を指揮するのは「戦隊司令官(コモドア)」
戦列艦やフリゲート艦を指揮するのは「勅任艦長(ポスト・キャプテン)」
スループ艦(注1)を指揮するのは「海尉艦長(コマンダー)」
と決まっていた。戦時の臨時任命を除いて一士官が一艦を正式に指揮することは絶対になかった。
(注1:一般に「スループ」というと1本マストで縦帆をもった小型船を指す。しかし、ここでいう「スループ艦」は軍事用語で、フリゲート艦よりも小さいあらゆる艦種、つまりシップ、ブリッグ、スクーナー、ケッチ、ブリガンチン、カッター、いわゆるスループ型など全部をまとめてスループ艦という。したがってスループ艦とは艦種の1つといえる。)
というわけで、フリゲート艦を指揮するのは勅任艦長だが、勅任艦長になるには国王の任命によるというのが建前で、そのために『勅任』という言葉を使う。実際には海軍委員会(まあ海軍省といっていい)が任命するのだが、任官すると「艦長名簿」にその名が載る。任命日時は絶対で、もし2隻のフリゲート艦が共同で作戦する場合、その戦隊の臨時指揮官はたとえ1日といえども先任者が務める。ただし、艦長に任命されたといっても「勅任」されるのは 3年後だ。3年間はいわば「正規艦長」という身分で、右肩に房の付いた艦長用肩章を1つだけつけることが許される。勅任されてポスト・キャプテンになるとこの肩章は左右両肩に付ける。だから右肩だけの肩章を見て、あいつは任命されてまだ 3年経っていないのだな・・・ということになる。
反乱がおきたことで有名な「バウンティ」は、もと石炭運搬船だったものを英国海軍が買い上げて、南太平洋にパンの木の苗を探しに行くのに使った船だ。本来なら「スループ艦」に属する小さい船なのだが、バウンティの艦長は勅任艦長のウイリアム・ブライだったから、当時この船はフリゲート艦と呼ばれた。勅任艦長がスループ艦を指揮するはずがない、という好例だ。艦の大きさよりも指揮官の身分の方が優先されることがこれでわかる
英国海軍の序列
フリゲート艦の艦長は艦長職としては若手で、艦長名簿の下に近いだろう。この名簿を見ればすべての艦長の任官時期がわかるから、あなたは身近な艦長たちの任官時期を覚えておく必要がある。なぜかというと、旗艦での会食などの序列は、特に招待側の提督の指示などがない限り、先任順に座ることになるからだ。また、自分か艦長たちの中のどのぐらいの位置にいるかは名簿を見るとすぐ分かる。ことほど左様に海軍での序列というのは影響が大きい。
常識として、英国海軍の当時の序列を見るとおおよそ次のようになる。
大きく分けると、士官、士官候補生、准士官、下士官、水兵ということになる。士官階級はいわば紳士として扱われ(公式なら、だが)上官が目下の者の名前を呼ぶときでも『ミスター』をつけて呼ばなければならない。その範囲は士官から准士官までだ。ただ、士官候補生は「指揮系統」としては士官に次ぐのだが、実務では准士官はもとより下士官の統制下におかれることがある。特に15歳以下の場合はそうだ。これは「訓練期間」と考えた方がいいのだが、それでも公式にはミスターをつけて呼ばれる。
詳しく序列を見ると、
将官(提督)
提督には階級があって、少将(リアアドミラル)、中将(ヴァイスアドミラル)、大将(アドミラルまたはフルアドミラル)と昇進する。しかし英国艦隊が大規模となるにつれて複雑化し、実際には存在しないが階級上の名称として青、白、赤の順の3種の戦隊(スクワドロン)の各階級を経ることになった。(注2)
(注2:順位として、青色戦隊少将 ⇒ 白色戦隊少将 ⇒ 赤色戦隊少将 ⇒ 青色戦隊中将 ⇒ 白色戦隊中将 ⇒ 赤色戦隊中将 ⇒ 青色戦隊大将 ⇒白色戦隊大将と出世する。ただ,赤色戦隊の大将はアドミラル・オブ・ザ・フリート、つまり英国艦隊全体の指揮官であり、昔日本でいった「連合艦隊司令長官」のようなものといえ「元帥」といわれることがある。時代を経て、この元帥は 1人だが、複数の「赤色戦隊大将」ができたという。なお「白色艦隊少将」と訳されることもあるが、英文を見るとsquadronでfleetではない。英国艦隊の構成要素なら当然「戦隊(squadron)」になるのだろう。例えば、バルチック艦隊は3つの戦艦群で構成されていたが、その名称は「第〇戦艦戦隊」だった。白色戦隊中将(vice admiral of the white squadron)などは単に「ホワイト・ヴァイス・アドミラル」と呼ばれることもある。)
左の絵はネルソン提督で、英国の提督中で最も有名な、といっていい。フランスはナポレオンでもち、イギリスはネルソンでもつといわれるほどだ。1805年10月のトラファルガーの海戦で、ネルソンは敵艦の海兵隊の狙撃を受けて戦死したのだが、その時ネルソンの階級は白色戦隊中将だった。
通常は提督といえども戦死すれば布に包み、錘を付けて海中に埋葬するのだが、ネルソンだけは上質のブランデーの大樽に漬けて英国まで遺体を運んだ。これはかなり稀なことで、ホーンボロアシリーズにも、ネルソンの遺体を葬儀場まではしけで運搬するときの模様が描かれているのをお存知の方も多かろう。
まあそれはともかく、提督は艦隊の指揮官だから、あなたのフリゲート艦もどこかの艦隊に所属する可能性が高い。その指揮官がどのような人か、作戦にどんな癖があるか等を知っておくことは非常に大事だ。また、遠くからその軍艦に乗っている提督の身分を知る方法もある。同じ「将旗」でもメインマストに揚がっていれば座乗している提督は「大将」であり、フォアマストなら「中将」、ミズンマストなら「少将」だとわかる。これはかなり重要な点で、詳しくは分からないがおそらく身分によって礼砲の数も違うだろうから、識別は大事なのだ。また遠方から同じような戦列艦群を見た場合、将旗の位置でどれが旗艦であるかも分かるというものだ。
戦隊司令官(コモドア)
数隻からなる戦隊の指揮官で、旗艦の艦長を兼務することもある。基本的な身分は勅任艦長で、コモドアは臨時に任命され、その任務が終われば勅任艦長に戻る。しかし、提督への昇任がかなり濃いことは事実だ。若手のフリゲート艦艦長であるあなたにはまだ機会がなかろう。しかし、どんな先輩艦長が任命されたかなどの情報は貴重なのだ。次の提督を予測できるからでもある。なお、幕末の米国黒船戦隊(スクワドロン)を指揮したのはペリー戦隊司令官(コモドア)で、よくペリー提督あるいはペリー艦隊と書かれるがそれは間違いだ。
右の写真の説明文には「Commodore Mathew Perry (1794~1858)」とある。
勅任艦長(ポスト・キャプテン)
海軍委員会によって任命されるが等級はなく、任官順位によって艦長名簿を登ることになる。任命の 3年後に勅任される。戦列艦とフリゲート艦を指揮する資格がある。あなたはまだ艦長名簿の下にいるが、戦死したり、提督に昇任したり、年齢や傷を負って退役したりして上位の艦長がいなくなるにつれてあなたの順位は上がるだろう。
海尉艦長(コマンダー)
海尉が任官試験に合格すると、スループ艦を指揮する資格が与えられ、左肩に肩章もつく。普段はキャプテンと呼ばれるが、公式には絶対キャプテンとは呼ばず、コマンダーといわれる。あなたに直接の関係はないが、優秀なコマンダーに目を付けておくことは重要だ。やがては艦長仲間になるのだから。
海尉(ルテナント)
士官候補生から昇任試験に合格すると海尉に任命される。公式の等級はないが、任命序列にしたがって〇〇等海尉と呼ばれる。1等海尉は副長であり、艦長補佐の役割を果たす。副長の性格と技量を知ることは艦長として必須のことだ。場合によっては、海軍本部に申請してよく知っている有能な海尉を副長として招聘することも必要になるかもしれない。副長以外の海尉をよく知ることも大事で、そのために、日常の行動を観察したり、食事に招いたりして彼らをよく理解する必要がある。その信頼度が戦闘時に生きてくる。特に新任の艦ではこれが最重要事項だ。
士官候補生(キャデット/ミジップマン)
多くが貴族、軍人家族の出で、ジェントルマン階級(地主など不労所得のある階級)の子弟もいた。数は少ないが、それ以外の一般市民の子弟もいたが、何らかの縁があってその船の艦長の許可をえて士官候補生になる。能力がなければ20歳代後半でまだ候補生というものもいたようだ。文字通り士官になる候補生だから士官と同様の観察が必要だ。特に教育の練度、実務の習熟度を十分理解するために、准士官や下士官に聞くこともあなたの大事な仕事だ。
准士官(ワラントオフィサー)
どこの国でも、何時の時代でもそうだが、海軍は下士官でもつといわれる。実務に精通している下士官がいなければ軍艦は動かない。帆船時代にはそれが准士官だった。准士官の序列は、
航海長(<セイリング>マスター)
准士官の順位がダントツの第1位が航海長だ。通常マスターと呼ばれる。航海長の任務は、本艦位置の確認を含む航海術全般、艤装に責任、帆走用のすべての補給品の確保、船倉への積み込みに責任、帆装性能を低下させる過積載の監視、錨、帆、マスト、ロープ、滑車の上げ下げの命令、天候、位置、消耗品などの公式航海日誌への記入と多岐にわたる。そのためにベテランの船乗りでないと航海長にはなれず、航海長候補者に認定されて試験に臨むのだが、その試験は「熟練の艦長と、トリニティ・ハウス(注3)の 3人の航海長による口頭試問」で行われる。この口頭試験に合格すれば航海長としての資格はあるのだが、海軍本部から有資格者としての召喚状があって初めて任務に就くことになる。
(注3:トリニティ・ハウスというのは俗称で、正式には「The Master Warders and Assistants of the Guild Fraternity or Brotherhood of the most glorious and undivided Trinity and of St Clement in the Parish of Deptford Strond in the County of Kent」という、名称からはなんとも理解しがたいが、船乗りの守護神と三位一体からきている非政府系公共機関ということなのだろう。そ
の役割とは、①イギリス公式の灯台管理機関。ブイ、海上ラジオ/衛星通信シスムなどの航法援助の提供及び保守を担当する公共機関。②北ヨーロッパ海域でナビゲーターの専門家である水先人に免許を発行し船に提供する海洋水先人の協会、③引退した船員の福祉、若い士官候補生の訓練や海上での安全性の推進に助成する海上の慈善団体、という。もちろんこれは現代での役割だが、基本的に創設の16世紀の昔からその方針は変わっていないと思われる。)
こういった重要な地位なので、船室も大型艦ではオーロップデッキに広い個室がありながら、スターンギャラリーにも小さな個室を持っている(右の図の白丸部分:「輪切り図鑑 大帆船」より)。戦闘配置はプ―プデッキで、常に艦長の補佐を行い、特に戦闘時の操帆は重要だ。副長と共にあなたのもっとも頼りになる部下である。
船匠(カーペンター):
准士官の第 2位に船匠があるのは奇異に思われるかもしれない。しかし、木造の帆船では船匠が毎日マストとヤードの状況を確認、ポンプの整備とビルジの水深を15インチ以下に保持、まいはだ、フェルト、ロープくずなどを準備して船体の隙間を塞ぐ、戦闘時には下甲板を見回って砲弾などの破孔を塞ぐ対策など帆船ならではの重要な仕事がある。大工の腕をもち、船匠見習いとして海上経験を積み船匠組合本部の試験に合格しなければ船匠にはなれない。ビルジ(注4)の管理やポンプの整備は帆船にとって致命傷になりかねないので、あなたは船匠の報告を常に注意する必要がある。
(注4: ビルジというのは、本来船の一番深い部分、つまりキール付近の湾曲部を指す。しかし一般には船底にたまる淦水(あかみず)英語でいうbilge waterを単にビルジと呼ぶ。(右の図の白丸部分:「輪切り図鑑 大帆船」より)木造帆船は航海中に縦横あるいはねじれといった変形を強いられるから、どんなに隙間を埋めても多少の水漏れがある。生活用水も少しはまじって船底に汚水としてたまる。15インチ(ほぼ 38㎝)が平常の深さで、これより増えたらビルジポンプで排水する必要がある。汚水だから汚れているが、もしきれいな水が出たら大変で、これは大量の漏水があることを意味する。カーペンターが一定時間にビルジを計るのはこんなことを防ぐ意味もある。)
掌帆長(ボースン)、掌砲長(ガンナー)、主計長(パーサー)
准士官の第3位はこの3者が並ぶ。それぞれ任務は違うが地位は同じだ。
掌帆長(ボースン)
1年以上下士官として勤務したものから艦長が任命する。帆や策具など艤装類や錨、艦載艇、軍艦旗などの点検管理が仕事だが、首から銀の呼子をぶら下げ、手には精神棒をもち、命令によって呼子を吹き鳴らし、精神棒を振るって水兵たちを部署に付けるのが常だ。入港時にマストやヤードがきちんとしていることを確認し、ロープが舷外に垂れていないかも注意する。ボートを回して艦のトリムを確認したり、水兵のハンモックをネッティングに入れさせたり、艦長の許可なく軽い懲罰を行うこともできた。部下の掌帆手(ボースンズメイト)は懲罰時の鞭打ちを行うというイヤな役目もしなければならない。水兵のことはよく知っているから、クルーの情報の宝庫としてあなたは重宝するはずだ。
掌砲長(ガンナー)
下士官として1年以上の経験があり、砲術口頭試験に通った者が任命される。大砲、スィーベルガンなどの兵器や弾火薬などの管理責任者で、どんな時でも砲撃命令に応じられるように用意しておく。装填用具や導火線の管理も任務のうちで、導火線は精密に時間を計れるようにきちんとした管理が大事だ。火薬庫の管理もガンナーの任務で、戦闘準備の命令が出たら艦長たるあなたから火薬庫の鍵をもらい、点火薬や装薬を準備していつでも装薬をパウダーモンキー(運搬する少年水兵)に渡せるようにする。また入口には火が入らないように水で湿らせたフェルトをたらしておくことも大事な任務だ。戦闘終了時にどれはどの火薬や弾丸を消耗したか、残量はどれほどかをあなたは常にガンナーから確認する必要がある。
主計長(パーサー)
艦長付書記を1年以上務め、艦長の推薦を得て任命される。糧食、飲用水、酒類、寝具・衣料、燃料(煮炊き用の薪)などの管理が任務だ。任命には1等級艦で1,200ポンド、6等級艦でも800ポンドの保証金の預託が必要だが、それでも政府から与えられる「必要経費」から物品を購入するとき1ポンドにつき1シリングのマージンを取り、航海が終わった時点で残った品があればボーナスがもらえ、航海中の節約が認められれば全乗組員の給料総額の10%が褒賞としてもらえるという役得があった。おまけに戦死者を生きているとして給料を横取り、帳簿をごまかすなど悪い奴にとって主計長は金の生る木だ。多くの場合、主計長は極端なケチンボとして小説に描かれているが、その背景にはこんな事情もある。こういった点について、あなたはどこまでが許容できるかを冷静に判断して主計長に対峙しなければならないのだが、まあ好ましいとはいえない仕事だ。一方で食糧や特に飲用水について常に残量をパーサーに確認しておく必要がある。作戦次第では水の制限をする必要も生じるし、どこで水の補給をするかも考えなければならないからだ。
以下序列はないのだが、准士官クラスには先任衛兵伍長、軍医、従軍牧師、指導教官(従軍牧師が兼任することもある)、司厨長がある。
先任衛兵伍長(マスター・アト・アームズ)
副長直属の警察官といっていい。艦内の秩序の維持が仕事で、毎日艦内を見回り、規定外の飲酒、喧嘩、賭博、厨房以外での喫煙、甲板でのツバ吐きなどの違反を見つけたら、すぐに違反者を拘束してメインマストの根本に縛り付けて監視する。艦長の採決で鞭打ち刑になることもある。それ以外にも火気の取り締まり、水兵の酒類持ち込み点検、マスケット銃の射撃指導という任務もある。後で説明する海兵隊の乗り組んでいない艦では海兵隊の仕事である歩哨や夜間見回りも行った。副長の片腕だが、憎まれ役で鞭打ち刑に処せられた水兵から仕返しを受けることもあったようだ。
司厨長(クック)
司厨長は料理する人という意味ではない。当時の軍艦の主食は塩漬け肉だった。大きな木製の樽に牛肉や豚肉を大量の塩でぎゅう詰めに詰めて保存がきくようにしてある。おまけに英国海軍には古いものから使えという伝統があり、ものによっては「彫刻ができるほど」硬い肉を調理しなければならない。主計長の立会いで開けた肉の樽から何とか料理できるようになるまで肉を煮るのが司厨長の仕事だ。推測だが、おそらく最初は海水で煮たのだろう。海水の塩分は3.5%ぐらいだから、これで煮れば相当塩分を減らすこともでき、真水を節約できる。おまけに肉を煮ると表面に脂肪が浮いてくる。これが司厨長の取り分で、水兵たちに売ったりしたらしい。実際の料理は食卓仲間(メスメイト)の中の料理担当が行った。まあ料理といえるほどのものではなかったのだろうが、軍艦では火気厳禁で、一カ所の厨房の火で全乗組員の料理をしたのだから、大変だったろうと思う。その点、あなたは艦長付のコックがいて、そんな心配をすることはない。艦長の特権の1つでもある。
軍医(サージャン)
小型艦には乗らないこともあり、衛生兵がその代わりを務めた。軍艦では戦闘時に負傷者の治療をするのだが、その大部分は負傷した手足の切断だった。当時麻酔薬はなかったから、濃いラム酒などで意識をもうろうとさせて手術をしたというが、それでも大変だったろう。臨時手術室のガンルームでは骨切用の鋸が主役という凄惨な手術が戦闘ごとに行われた。平時はクルーの衛生管理、特に壊血病の予防や作業時の負傷治療などが任務だ。右の写真は戦闘時の手術室の様子(「輪切り図鑑 大帆船」より)
軍医の給料は艦長並みと高額だが、手術用具などはすべて自分持ちだったという。あなたは水兵の衛生管理、特に疫病の予防に注意するように軍医に常に指示する必要がある。また軍医からの忠告や戦闘後の死傷者数(いわゆる肉屋の勘定書)の報告に意識を向けなければならない。
下士官(ペティ・オフィサー):下士官は准士官の直接の部下で、それぞれの役割で准士官を助ける。
航海長の下士官
航海士(マスターズ・メイト)、操舵手(コーター・マスター)、副航海長(アシスタント・マスター)
船匠の下士官
船匠見習い(カーペンターズ・メイト)、填隙(てんげき)係(コーカー)がある。このコーカーの仕事は舷側や甲板の隙間をロープのクズやタールなどで埋める役割で、木造船にとっては必要で欠くことのできない作業だ。
掌帆長の下士官
掌帆手(ボースンズ・メイト)、製綱手(ロープ・メーカー)、縫帆手(セイル・メーカー)がある。ロープもセイルも帆船にとって不可欠な品で、それぞれの専門家が要るということだ。前述のようにボースンズ・メイトには懲罰時に鞭打ちを担当する任務があり、嗜虐性のない者にとっては辛い任務だったろう。
主計長の下士官
艦長付書記(キャプテンズ・クラーク)があるが、この書記の仕事は直接艦長のもとで行い、地位として主計長に所属するという意味だ。また艦長には艦長付コックがいて、艦長の食事を調理する。
以上が役職をもった乗組員といっていいのだが、居住区でいうと艦長は艦尾に広い(といっても艦の大きさによるが)独立した部屋をもち、士官は艦尾に簡単な壁で仕切られている個室を持つ。艦の大きさにもよるのだが、准士官はオーロップデッキにきちんとした個室をもっているが、下士官は同じデッキのガンルームにハンモックを吊って寝る。
(つづく)