第13回  帆船時代の食事(4) ー 提督の食卓(中編 )ー

 提督というのは海軍の将官クラスを指す用語で、提督の指揮する軍艦の1群を「艦隊(フリート)」と呼びます。将官と勅任艦長の間のクラス(実質的には勅任艦長ですが)であるコモドア(戦隊司令官)が指揮する軍艦の1群を「戦隊(スクヮドロン)」と呼んでいて、これは軍艦の種類、隻数とは関係ありません。艦隊といえども、戦列艦数十隻という場合もあればフリゲート艦数隻という場合もあるのです。また、勅任艦長が複数の軍艦を指揮することはありません。もちろん先任艦長が優先して指揮をとることは別ですがこの場合は正式な戦隊でも艦隊でもないのです。

 

 これは明確な身分制によるもので、その点どこの国の海軍でも同じだろうと思います。責任範囲が違うのですから、それなりの給与が与えられます。ホーンブロアシリーズの「海軍提督ホーンブロア」の巻に、西インド諸島方面英国艦隊司令官として赴任していたホーンブロアが、退任して後任の司令官と交代する場面が出てきます。

「(後任の)スペンドラブが紙切れをホーンブロアの手に押し込んだ。ホーンブロアは進み出た。『命令——海軍卿の事務代行者たる海軍本部委員会より、本官、赤色艦隊海軍少将、バス勲位功一級大十字章勲爵士、ホレイショー・ホーンブロア卿に対し…』・・・それから命令書をたたみ、最後の命令を下した。『サー・トマスご苦労だが、わたしの旗を降ろしてくれたまえ。』 (以下この項高橋泰邦訳)」こうして艦隊司令官の交代が行われるのですが、赤色旗が13発の礼砲と共に60秒かけて甲板に降ろされた瞬間「ホーンブロアは、司令官給の1ゕ月あたり49ポンド3シリングと7ペンスだけ貧しくなった。」のです。

 

 提督の給与は分からないのですが、艦隊司令官になっただけで(このシリーズの以前の基準によると)1ゕ月に147万5,375円、年間にすると1770万4500円の収入になります。これはいってみれば役職給ですから、元になっている本給はこれよりもずっと多いはずです。この他に艦隊司令官には拿捕賞金の1/8が自動的に入るのですから、いかに将官が金持ちであったかわかります。

 

 同じ本の中で、退任したホーンブロアは一緒に帰国するために来ていた妻のバーバラから200ポンドほしいとねだられます。もともとバーバラは貴族の出身なので金を持っていたのですが結婚によってそれはホーンブロアのものになり、当時の習慣として女性は小切手に署名しても法的には無効になってしまうのです。この金は些細なことで命令違反となった軍楽隊の天才的なトランぺッター、ハドナットをバーバラが非常手段で救うための費用だったのですが、妻を信用しているホーンブロアはすぐに小切手を切ります。200ポンドは先ほどの基準でいえば600万円で、海軍の提督は容易にそういった金を出せるほどの資産家であったことが分かります。

 

 こういったことを頭に入れて、提督がどんな食事をしていたか、特に艦隊の責任者を集めて会食するときにどのように贅を尽くしたかを見てみましょう。もっとも、提督といえども何ゕ月も海上にあって不便を強いられているのですが、海峡艦隊はフランスの軍艦が出てこないように監視、撃滅するのが役割ですから、距離の近い本国からの補給に頼ることができました。ホーンブロアシリーズの「砲艦ホットスパー」ではコマンダー(海尉艦長)だったホーンブロアが海峡艦隊の旗艦、二層甲板艦トナントでの会食に参加します。

 

 旗艦トナントはもともとフランスが作った二層甲板戦列艦で、英国の二層甲板艦を規模で圧倒しようとした大型の船です。それが希望に反して英国に拿捕され海峡艦隊の旗艦となっているのは皮肉なものですが、狭いブリッグ艦から来たホーンブロアから見ると「その甲板は信じられないぐらいに広く見えた」のです。天井までの高さが6フィートもあるこの船の艦尾楼で旗艦艦長であり昔なじみのペリューに迎えられ、これもよく知っているコーンウォリス提督と握手します。この集会に参加したのは歴戦の艦長連で、若手は就任して3年以内なので右肩だけに肩章を付けている正規艦長とコマンダーであるホーンブロアだけです。

 

 食事前に通された部屋は「…ダマスコ織と思われる高価な布地で仕上げられており…揺れている銀のランプをきらめかせ…立派な革製のものをまじえた書物が並んでいる棚があった(以下食事の項は菊池光訳)」という豪華なものです。ただ、この部屋といえども戦闘時には砲列甲板になるのですべての隔壁や調度は取外して船倉に仕舞わなければなりません。「『これでは戦闘準備をするのに、五分は十分にかかるだろうな、エドワード卿』コーンウォリスがいった。『ストップウォッチによると』ペリューが答えた。『隔壁を含めて一切を下にしまうのに四分十秒ですみます』」つまりそれほど戦闘準備の訓練が行われているということですが、絨毯類やガラス器具の多い棚をどうやって5分以内で船倉まで降ろしたのか驚きです。

 

 やがて食事にしましょうとペリュー艦長がいって…「艦の縦方向に取り付けられた隔壁のドアが開かれると、中はダイニング・ルームになっていた」と書かれています。つまり艦尾楼の幅が大変広くて、例えば左舷側に食事を待つための部屋があり、右舷側には食堂があるということを示しています。通常戦列艦でもダイニング・ルームは艦の横方向に隔壁が取り付けられていますから、この旗艦がいかに大きいかが分かります。

「一番大きい皿が彼の前に置かれ、巨大な銀の皿おおいがサッと取り払われると、見事なパイが現れた。パイ皮が城の形に築き上げられ、その小塔に紙のイギリス国旗が立っている。『これはすばらしい!』コーンウォリスが声をあげた。『エドワード卿、この本丸の下に何が入っているのだ?』ペリューはもの悲しげに首を振った。『たんにビーフとキドニー(腎臓)だけなのです。』」ペリューは本艦に割り当てられた牛の肉が固いのでバラバラになるまで煮て、腎臓を利用してステーキとパイにしたと説明します。

 

 パンに使われた小麦粉は袋が艦底の汚水に汚され、やっと上辺だけを助けたので数が少ないことをペリューは弁明し、ホウザー艦長の横にあるのは「『…ポークのシチューなのだ、少なくともわたしのコックがそう呼んでいるものだ。普通のものよりも塩辛いとしたらその中に流したコックの涙のせいだ。』」何故かというと艦隊で唯一生きている豚を持っている艦長が黄金を山と積んでも手放す気はなかったので「哀れなコックは塩漬けの豚肉で間に合わせるほかはなかった…」とペリューはいうのです。

 

 この他に本国から補給されたばかりの新鮮野菜、カリフラワーやニンジンに一同が感激したり、ペリューに勧められて下級士官のホーンブロアは「コックが特に自慢している特別料理」である塩漬けの豚肉を使った料理をポテト・ピューレと併せて食べます。「…中に黒っぽい片鱗が入っていた。この上なく美味な料理であることは一点の疑いもなかった。ホーンブロアはありったけの知識であれこれ考えた結果、その黒い薄片は、話に聞いたことはあるが一度も賞味したことのないフランスしょうろに違いない、と結論した。」

 

 この「フランスしょうろ」とはトリュフのことで、当時でもフランス、スペイン、イタリーにしか生産されなかったはずです。つまり密輸に頼っていたわけで、後で出てくるブランデーなどと共に軍隊といえども美味な材料の多くを密輸に頼っていたことが何とも皮肉ですが、同時に相当に高価な材料であったことも事実でしょう。また一緒に食べたポテト・ピューレは「艦上でも港の安食堂ででも、一度も食べたことのないすばらしい味であった。控えめながら完璧な味付けで、天使がマッシュポテトを食べる場合があるとすれば必ずやペリューのコックに作らせたに違いない。」

ペリューの言葉で、ホーンブロアは今の料理が「ガランティン」というのだと知るのですが、「…ポークシチュウが回ってきたので、給仕が間髪を入れずに取り換えてくれた皿にたっぷりととった。この世のものとは思えない味のソースにつかっているすばらしい玉ねぎを心ゆくまで賞味した。」

 

 やがて「魔法のようにテイブルの上が片付けられて新しい皿が並び、大小の干しぶどうと二色のジェリイで作られたプディングが供された。」というのですが、「このすばらしいゼラチンを作るのに例の牛の足を煮たり濾したり、たいへんな手間がかけられたているのにちがいない」とあります。今と違って乾燥ゼラチンなどない時代ですから、一般家庭やレストランといえども牛骨などからゼラチンを取っていたのだろうと思います。ただ軍艦の場合はその骨そのものが少ないので、コックは大変な苦労をしたに違いありません。

 

 最後に出た「ゆでまんじゅう」とはよく分からないのですが、ペリューは「そのゆでまんじゅうに使う小麦粉がなかったのです」と弁明し、そこで「厨房の連中がビスケットを砕いて出来るだけのことを」したのだといいます。そのできるだけのこと、というのは「およそ考えられるかぎり完璧に近く、果物の豊かな味を最高に生かすしょうがのかおりがかすかにまじっている甘いソースがかかっていた。」といいますから、ニョッキかすいとんの状態のものだったのでしょう。

 

 もう一度テイブルが片付けられ、ホーンブロアは給仕からそっとささやかれます。「カーフリィはいかがですか? それともウェンズリデイル? あるいはレッド・チェシャ?」つまり食後のチーズの名前です。間もなくホーンブロアはウェンズリデイルと上等なポートワインの組み合わせが「栄光に満ちた行進の最高潮の場面で意気揚々と馬にまたがっている天の双子、カストルとボルクスのような至上の組み合わせであるという、画期的な発見…」をしたのです。こういったチーズ類もおそらくフランスからの密輸でしょう。英国は今でも牛乳の生産量はかなりあるのですが、チーズやバターの乳製品の生産量は少なく、多くを牛乳で消費します。その点から見てもチーズの多くはフランスかオランダからの密輸だと思われます。

 

 この会食の終わりにフィンガーボールが出ます。これが彫刻入りの銀製品で、もちろん手指を湿らせるだけのものですが、豪華な入れ物ではありながら「器の中にレモンの皮が一片浮かんではいるが、そのレモンの皮が浮かんでいる水はたんなる海水であるのを、ホーンブロアは唇を軽く濡らしながらそっと味わって発見した。なにか心が温まるような事実であった。」と書いてあります。やっぱり軍艦である証拠を発見したのでしょう。

 

 こういった会食の最後には、長年の伝統によって最下級士官が国王陛下への乾杯の音頭を取らなければなりません。ホーンブロアは提督の鋭い視線の下に至福の時間からはっと覚めて、一同の注意を集めてその役割を果たします。こういった経緯でおえら方の会食が終わるのですが、陰の主役、つまりお抱えのコックが会食には大きな役割を果たします。前回でも触れたのですがペリュー艦長もコックを「平和時に彼を雇って開戦になったので連れてきたのです」と説明しています。しかし「戦闘部署は下甲板右舷の砲手です。」といっていますからコックが専門ではなかったようです。

 

 ここででた鶏の料理が美味で、どうやって鶏を太らせるのだと質問が出ます。コックの秘密なのだがと断って、実は「この艦には六百五十人の兵員がいます。五十ポンド入りのパン袋が十三個からになります。秘密はその袋の扱い方にあるのです。」という説明です。実際には「中身をあける前に、袋を叩き、ゆする、割れがでないように加減をしながら、強く叩く、そして、中のビスケットを素早く取り出すと、驚くなかれ! びっくりしてふだんの住まいから逃げ出したまま、べつの住まいを探すひまのないぞうむしやうじむしが袋の底にいっぱいいる。紳士諸賢、ビスケットを食べて栄養満点のぞうむしくらい鶏を太らせるものはないのだ…」とペリューはいうのですが、これも軍艦ならではの話といえましょう。

 

 これまでで気がつかれたと思うのですが、豪華な食事の中で材料はすべて牛肉、豚肉、鶏肉と乳製品、それに生鮮野菜です。魚類は一切使われていません。ただし魚類ではありませんが伊勢海老だけは別です。前回で述べたように水兵は同じ海の生物である魚に対して偏見を持っているといわれているのですが、提督の食卓にも魚が出てくることは、少なくとも私の読んだ海洋小説に関する限りありません。英国海軍全体に偏見があったのかもしれません。

 

 もう一つ、あまり目立たないのですがこれらの料理に使われた香辛料はかなりの種類があったと思われます。上のトリュフなども、どちらかというと食材というより香辛料に近い存在です。前回でご紹介したホーンブロアの新しいコック、ジェイムズ・ダウディはこの会食の時に密かにコック仲間に頼んで提督の(内密の)許しを得て旗艦から香辛料を手に入れています。

 

 ダウディがどんなものを手に入れたか、ホーンブロアに強要されて「これがスイートオイル、つまりオリーブ油です。これが乾燥した香料植物です。マヨナラ、タイム、セージ、そしてこれがコーヒーです——見たところ半ポンドしかありません。これがこしょう。それに酢と、これが…」と白状します。「艦長がこういう物を備えておられないのを、黙ってみているわけにはいきません。」というのがコックとしての彼の弁明です。料理人にとって香辛料はなくてはならないものでしょう。もちろん、これらは遠い太平洋の南国からの輸入品で、おそらく東インド会社の交易船からもたらされたもので、庶民からみれば恐ろしく高価なものだったことも知っておく必要があります。