福田 正彦
2.出港準備 ― 状況把握と装備
あなたは提督から出港準備が整い次第、なるべく早く出港するようにと命令されている。おそらく数日以上準備に要したら、提督はイライラし始めるだろう。なるべく早く事を運ばなければならないが、多くの面倒をどう裁くかであなたの真価が問われる。
2-1 乗組員の状況
任命書の読み上げと演説が終わって、あなたは艦長室に入る。スループ艦の時代と違ってフリゲート艦の艦長室はまあゆったりしているといっていいだろう。そのデイキャビンに艦尾窓を背にしてあなたはゆっくり座り、一緒にくるようにいっておいた副長と向かいあう。前任の艦長は急な病で入院したためにあなたと交代したのだが、特に前の艦長に悪評があったわけではない。しかし、実際にあなたは副長から艦内の状況を聞く必要があるのだ。出港準備がどこまで終わっているか、あと何が必要かなど直接副長から聞くことで、副長自身の評価もできるし、担当海尉の性格も少しは分かる。 (写真は艦長室のデイキャビンで、おそらく戦列艦のものでフリゲート艦はもっと狭いだろう)
問題は2つあることが分かった。1つは水兵の不足、もう1つは予備の円材が手に入らないことだ。おおよその補給物資の積込みは終わっており、明日の午前中には飲用水のバージが接舷し、明後日には火薬類の積込みが予定されているという。この副長は全く知らない仲ではなかったが、これまでの話でかなり有能で出港準備もまあ順調だとわかった。監獄から囚人の補充もあったが、時間もないことだしあなたは強制徴募で水兵の補充をするように命じ、予備の円材には自分で工廠に出向くことを副長に告げて会談を終えた。いうまでもないが、強制徴募隊には必ず「信頼できる水兵」を選ぶように念押しをする。こういったことは新任艦では欠かせないのだ。
工廠に出向くのは午後にして、事務机の上に載せられた多くの資料の中から、あなたはまず懲罰記録簿を取り上げる。鞭打ちなどの懲罰が多ければ水兵の質が悪いか、あるいは些細なことで懲罰が多ければ水兵の不満が溜まっていることにもなる。艦長によっては加虐に快感を覚えるものもあり、不安に駆られて懲罰をする者がないわけでもない。いずれにしても懲罰の多寡は艦の質を表す一つの指標といえるのだ。幸いなことに本艦の懲罰の数はどちらかというと平均よりも少ない。前任の艦長はうまく運営していたようだ。
あとは航海日誌、戦闘詳報にざっと目を通してこれまでの戦歴を頭に入れておく。特にどの海尉、あるいは士官候補生の働きを前艦長が推したか、あるいは何らかの譴責をしたかは重要な記録だ。本艦は6等級艦だから、海尉は副長を含めて3人、士官候補生は5人しかいない。戦闘配置は後で再検討することにして、とりあえず本艦の海尉と准士官たちの名前と経歴を頭に入れておく。そうこうするうちに艦長付コックを兼ねた召使いが昼食と熱いコーヒーを持って艦長室に静かに入ってきた。
2-2 艦長や提督の召使い
この艦長付コックはあなたの海尉艦長時代からの付き合いだ。帆船時代、艦長たちは何人かの私用人を艦が変わっても連れて回ることができた。これは貴族の習慣だと思うのだが、気心の知れた執事や召使いたちを新しい艦に連れてゆくことは大変便利でもあるし日常生活で余計な心配をしなくていいという効果もある。その私用人の範囲だが、最低でも艦長付書記、召使い兼用のコック、艦長用ギグの艇長といったところで、提督の中では40人もの私用人集団を連れ回った例もあるという。
こういうことが可能なのはもちろんこれら召使いたちが「軍人」ではないからだ。つまり下士官を含む幹部たちは軍人で、基本的には海軍本部の命令によって配置が決まる。「雇い人」である水兵たちは艦長なり提督との契約で艦に乗り込むことが出来たのだろう。またこの召使いたちはいわば執事のような役割も持っていて、狭い海軍世界の中で独特の連携、まあ執事ギルドのようなものがあったらしく艦長用の食糧や調味料などのやり取りも行われていたらしい。こういった習慣が現代でも「艦長付当番兵」や「船長付当番」といった形で(もちろん私用ではない)残っているようだ。
准士官や下士官についてははっきりしないのだが、士官階級になると食費と衣料費は自前だ。フリゲート艦の艦長ともなれば乗組みの士官たちはもとより、場合によっては他艦の艦長たちや提督を接待するための会食もあり得る。そのためにあなたは本艦への任用が決まった時点で日常の食糧の他に会食用の食糧や酒類を購入して本艦に送り届けると同時に馴染みの私用人連中を予め乗艦させておいたのだ。もちろん細かいことはベテランの執事でもある召使いによって行われたのはいうまでもない。これらの品々は艦長室に近い艦長専用の船倉(ホールド)に仕舞い込まれたはずだ。
後から詳しく説明するが、ホールドは水面下にあるオーロップデッキのさらに下にあって本艦の進水からこのかた陽の目を見ることはない。当然海水の温度に近いから、当時にあっては冷蔵庫に近い感覚で物資を保管できた。熱帯にいるときに冷えたワインを味わえるというのは、艦長用のワインがホールドから直接持ち込まれたことを意味している。そしてこの貯蔵庫は召使いを兼ねた艦長付コックの城でもある。
断っておかなければならないのは、艦長や提督の私用人といえども軍隊の身分制度でいえば水兵扱いということだ。一般水兵と同じ軍律の下で規制されるから、もし上官抗命の罪(例えば一階級上の下士官を殴ったというような)を犯した場合には、艦隊引き回しの上で鞭打ち100回というような事実上の死刑になることは間違いない。海洋小説でもそんな例があって、ホーンボロアが先輩艦長の周旋でせっかく手に入れたコックが、やむを得ない事情で上官を殴り死刑になりそうになったのを、自らの大ミスという形にして密かに艦を脱失させたという場面も出てくる。
2-3 艦長用ギグの艇長
艦載艇のうちでギグというのは本来雑用艇だ。通船として士官や必要な人を運んだり小さな荷物を運ぶのが任務だが、艦長用ギグは文字通り艦長専用の乗物だ。艦長は忙しい。港に停泊している場合は、つねに地上にある司令官との連絡、修理や補給に必要な諸施設との交渉もある。また海上にある場合、艦隊の旗艦から「各艦長は旗艦に集合」という旗流信号が必ずある。こんな場合ぐずぐずしていたら大変なことになるのは明らかだろう。海上での会合の場合、各艦はヒーブツー(注1)の状態で停まっているからいくらかの操船余地が必要で、艦隊の規模が大きいほど旗艦までの距離が遠くなる。旗艦では先任順に乗船するが、若輩が遅れていいとはいかない。やっぱり腕に自信のある高速なギグが必要なのだ。
(注1: ヒーブツーとは帆船が錨を入れないで海上で停止する方法をいう。一方のマストを裏帆の状態、つまり帆に前から風を受けて後退する力を受ける一方、他方のマストは前進するように風を受け、両方の力を拮抗させて艦を停止させる。風次第だから状況によって帆を操作する必要がある。
右の絵は、昔のオランダ艦隊を画いた油彩の一部でヒーブツーで海上に停泊している帆船で、メインマストのトップセールが裏帆、つまり後退の風を受け、他の帆は前進の風を受けています。)
ふつう大型の艦載艇は横2列、つまり2人で一対のオールを漕ぐものが多いが、艦長用のギグは1列で1人が一対のオールを漕ぐ。艇は細身で多くの荷物や人は運べないが早く走ることが出来る。上の絵は漕ぎ手が2人だが、5-6人の漕ぎ手があるものもある。大きさの割に後部座席がかなり広いことが分かるだろう。裕福な艦長たちはこのギグを華麗な色で飾り立て、乗員の水兵に揃いの制服を着せて漕がせたという。
このギグの艇長をコクスンというのだが、これは水兵の中でも屈強で指導力も戦闘能力もある者が多い。海洋小説にも出てくるが、例えばホーンブロア艦長のブラウン、ボライソー艦長のストックデ―ル、ラミジ艦長のジャクソンなどだ。これらの記述を読むとコクスンは単にギグの指揮ばかりでなく、艦長の毎朝のヒゲ剃りから、長剣や拳銃の手入れ、軍服の用意などコックと違った日常の世話を焼く召使いでもあり、戦闘時には艦長の身を守り、切込み戦闘などでは守護役も果たすという、どちらかというと部下よりも頼りになる友人といった関係もあったようだ。こういった長年慣れている存在があれば、新任艦では大いに頼りになったことだろう。
こういったコクスンたちは海軍内でもかなり顔が利いていたらしく、新任艦といえども優秀なクルーをたちまち編成して艦長用ギグを用意するだけの実力を持っていたようだ。参考までにいうと、コクスンは艇尾にいて舵をとる必要がある。すると艦長はどこに座るのだろうと長年疑問に思っていたのだが、上の艦長用ギグの絵を見ると前を向いた後部座席の背もたれと艇尾との間に少し隙間がある。おそらくコクスンは後部座席に座り前を向いた艦長の後に立って短い舵柄(チラー)を手に漕艇の号令をかけたに違いない。熟練のクルーなら左右の大きな動きはオール捌きの号令でできただろうし、舵は接舷(岸)の時だけ必要(オールは立てているから)で、短くても十分だったのだろうと推察できる。一般の艦載艇と艦長用ギグの構造上の違いがここだ。なお、この絵の一番手前にある棒は接舷した時にチェーンプレートの下にあるチェーンに鉤をひっかけてギグを固定するために使う鉤棒だろう。
2-4 艦長名簿
ここでちょっと横道にそれるが、英国の帆船海軍の全盛時代にどれほどの数の軍艦があったかを覗いてみよう。いわゆるナポレオン戦争はほぼ1792年から1815年といわれているから、戦争が始まっていくらも経たない頃の艦艇数と、戦争がほとんど終わりに近い20年経った頃の艦艇数の比較表だ。
この表の中で著しいのは5等級フリゲート艦が78隻から123隻と158%になり、3等級戦列艦(つまり74門艦のような)が71隻から87隻と121%、一番多いのはスループ艦の比較的大型のものでこれは474%、つまり5倍近くにもなっている。「現役艦」という表示だから、損傷を受けて退役したり捕獲されて失った艦は含まれていない。
注2):左の表をクリックすると拡大してご覧になれます。
実戦を経験してみると、超大型艦よりも艦隊決戦で比較的動きのいい74門艦や、通商破壊や私掠船への攻撃、また船団の護衛など便利に使えるフリゲート艦の重要性が認識されたからだろう。また比較的大きなスループ艦が多くなっているのは戦線の拡大による情報のやり取りの量が膨大になったこと、輸送船団の護衛や敵の小型艦や私掠船による補給の妨害を防ぐ必要のあることなどが想像される。それにつけてもほぼ20年間で大小さまざまな軍艦を366隻も増やした英国の建艦能力の大きさに驚くほかはない。北欧から材木を多く輸入したというのも当然だろう。またこの表には隻数がないが、小型のスループ艦はほとんど無数といってもいいぐらいあったはずだ。沿岸防備、郵便輸送、密輸取締りなどいくらでも仕事があっただろう。
同時にこの表から艦長名簿の人数を推定することが出来る。つまり艦長は戦列艦とフリゲート艦を指揮するから、最低でも1814年には艦長が255人必要になる(上の表の“小計”参照)。20年前から見ると52人増えている勘定だ。また当然陸上勤務の艦長もいるし、予備がなければならない。ほんの推定だが、これらを20%と見ると1814年に艦長は302人いることになる。あなたはフリゲート艦のそれも6等級艦の艦長だから、艦長名簿ではよく見ても下から40番目ぐらいだろう。でも悲観することはない。5等級艦の艦長は目の前だし、3等級戦列艦も増えているから需要は増すだろう。ついでにいえば、コマンダー(海尉艦長)の数も多めの数百人規模といっていい。
これも余談なのだが、英国の軍艦には名前の前にH.M.S.という略号が付く。「H.M.S. Victory」というのがいわゆるヴィクトリーの正式名称だ。H.M.S.は「His Majesty’s Ship」のことで、「国王陛下の軍艦」という意味になる。もし女王陛下の時代だったら「Her Majesty’s Ship」となりいずれにしてもH.M.S.に変わりはない。この略称は戦列艦とフリゲート艦に使用されたもので、補助艦艇であるスループ艦には使わない。スループ艦の場合は「H.M. Sloop ~」というのだが、まあ似たようなものだ。
アリステア・マクリーンの処女作品で「女王陛下のユリシーズ号」という有名な海洋小説がある。ご存知の方も多いだろうが、この原題は「H.M.S. ULYSSES」となっている。小説の中でユリシーズが活躍するのは第2次世界大戦時代で当時の英国王はジョージ6世だった。女王陛下であるエリザベス2世が即位したのは戦後の1952年2月6日だから、本来なら「国王陛下のユリシーズ号」といわなければならない。まあ小説だからとやかくいうことではないが、早川書房の商魂たくましい訳といってもいい魅力的なタイトルだ。
2-5 備品の整備 — 食糧
午後になってあなたは工廠へ出向くことにする。今回は通船を使わずギグを回すように命じてある。馴染みのコクスンがあなたを迎え大声で発進を命令する。海軍工廠はもちろん軍艦を建造するが、それと同時に各装備品、例えば円材、ロープ類、予備錨、大砲、弾丸、装薬、導火線、各種の帆など戦闘用の装備や乗員用の食糧(樽詰めの肉類、乾パン、スープ原料、食酢等々)や衣類の支給も管轄下にあったらしい。
円材というのは簡単にいうと予備のマストやヤードだ。戦闘や嵐でトップマスト以上の細いマストや各ヤードは損傷を受けたり、無くしたりすることもたびたびある。その取替え用の材木が艦には必要なのだが、副長が幾度交渉してもうんといってくれないという。どうやら担当のお偉方は「艦長」が頭を下げて頼むのを密かな楽しみにしているらしい。あなたは艦の整備のためならそんなことは屁とも思わないから、お世辞の1つもいって無事調達することができた。
ところで、軍艦1隻を任務に就かせるにはどれほどの物資を必要とするか、正確な資料はないのだが6等級フリゲート艦でさえ200人ほどの人間を養い戦闘させるための物資が必要なのだ。当時英国からカリブ海の英領島嶼へ行くのなら、少なくとも3~4か月分の食糧が必要だ。その種類を英国と米国の資料から見ると、牛/豚肉(塩漬)、牛脂、ビスケット(乾パン)、エンドウ豆、オートミール、米、砂糖、糖蜜、食酢、バター、チーズ、ビール、スピリッツ、ラム酒、ワインとこれほどが必要だった。
おまけに賢明な艦長だったら、壊血病の予防にレモンあるいはライムのジュースを必ず購入したことだろう。当時「壊血病」という確実な認識はなかったようだが、柑橘類の内でもレモン、ライムといった酸っぱいジュースがこういった症状に効くことは広く知られていたらしい。ただこれらが初期の公式給食にはなく艦長の自腹で購入したようだ。費用は掛かるが元気な水兵を維持することが結局は利益をもたらすことを賢明な艦長たちは知っていたのだ。余談だが英国は西インドのライムをさかんに使ったので、英国人のあだ名「ライミー」はここからきているという。
水兵たちは酒類に目がない。水があってもラム酒がなければ反乱が起こるといわれるほど酒類の調達は絶対必要だ。もちろん水の用意も絶対必要なのだが、当時の水は木製の樽で保管されたからすぐに腐った。それでも命には絶対必要だから、無人島での水の補給といった手段もとられた。艦長にとって酒と水は運営上欠かせない要件だったといっていい。
理由は推察するしかないが、英国を出港して最初に水兵に出す酒類がビールだ。これは容量が大きいし、持ちも悪いから最初に消費するのは合理的だ。これが無くなるとワインやスピリッツの出番となるのだが、地中海に入ると粗悪な赤ワインが支給されるという奇妙な習慣もあったらしい。
しかし主役は「グロッグ」で、これはラム酒を1:4の割合で水に薄めたもので、士官にはラム酒を生のままで支給されたが、下士官や水兵はグロッグが日常の酒だった。グロッグは右の写真のような樽に詰めて保存されたらしいが、これらは海兵隊が厳重に保管したのはいうまでもない。酒の飲み過ぎで“グロッキー”になるといわれるのはこのグロッグからきているという説もある。水兵用の樽はもっと大きくて粗末なものだったろう。
こういった食糧をどれほどの量積み込んだのか、確実な資料はないのだが、ホーンブロアの小説に出てくる、おそらく5等級フリゲート艦である「リディア」の乗組員が380人で、7ヶ月間必要な食糧をパナマの反乱軍に請求する場面がある。あなたの場合、200名で3か月必要としてその半分と仮定すると・・・「去勢牛を100頭分、豚250頭分、塩5トン、堅パン20トン、レモンまたはライム2万個分のジュース、砂糖5トン、タバコ2.5トン、コーヒー0.5トン、ジャガイモ10トン、」がその量になる。この数字は現地調達での要請だから去勢牛となっているが、港で積み込む時はもちろん肉類や液体は樽入りだ。200人ほどの乗組員を3か月ほど養う食糧が(もちろんかなり余裕は見ているにしても)いかに膨大かが分かるだろう。
いうまでもなく当時に冷蔵設備はなかったから、生鮮野菜は積み込んだにしても10日も持たなかっただろうし、保存の利きにくい食品、例えばバター、チーズなどは時間と共にとても食べられる状態ではなくなる。バターなどは最終的にはグリーズとして滑車などの滑剤に使われたらしい。結局頼りになる食品は塩漬け肉と乾パンということになって、長期の航海で最後までこれが残った。大型艦では牛や鶏を飼っていたが、これらは士官用で牛乳や卵の供給源であっても水兵には縁のないものだった。
大部分の食糧は、取り扱い上堅牢な樽に詰めて保管する必要がある。肉類も水も酒類もそうだ。膨大な量の樽詰食糧は毎日消費されて空の樽が当然増えてくる。詰まったものと空のものを一緒に保管したら区別が面倒だし、置き方が悪いと艦のバランスにも影響する。そこで樽を分解して保管する役割の水兵たちがいたのだ。肉類と水の樽はもちろん別に保管したと思われるが、あたりまえとはいえ一艦の運用にかくも面倒な作業もあったかと、調べてみて改めてびっくりする。
注3:下の図をクリックすると拡大してご覧になれます。