福田 正彦

第8日 2013年8月10日 : ヴァーネミュンデ(WARNEMÜNDE)/ドイツ

 

 この日の朝、ドアの下に1枚の紙が入っていた。クルーに対するチップを払ってくれるだろうかという請求書ではないがまあ要請書だ。本船では日常のチップはまとめて後で払うことになっている。乗客1人当たりウエイターに1日3ユーロ、キャビンスチューワードに1日5ユーロで、8日間で合計64ユーロ、8,320円ほどになる。もちろんこれ以上でもいいのだがぼくは2人分を標準額で記入した。これは後で買い物などと一緒に請求される。


 

 今日はパレードに備えてだろうクルーがTシャツではなくてセーラー服を着ている。甲板の上にあるロープもなんだかバカにきれいだしボラードにも飾り巻きをしているようだ。出航するとたくさんの帆を揚げ始めた。注目したのはめったに揚げないフィッシャーマンを揚げたことだ。これはメインとミズンマストのステイスルの上に揚げる帆でかなり大きいし、シャックルでマストに沿わせるので面倒なのだ。今回はメイマストだけにこの帆を揚げていた。やがて9時半にはテンダーで船の周りをまわって写真を撮らせてくれるという。ちょうどパレードに備えてほとんど総帆を揚げているので撮影にはもってこいだ。どやどやとテンダーに乗り込んでカメラを構えるが、何せ屋根のある船だから見通しのいい場所は限られている。そこに大勢乗るものだから押し合いへし合いになる。幸い何とか席を確保してカメラを構えたが、隣には体の大きい岩崎さんが大砲のようなニコンを構えて身を乗り出す。何せセミプロ級の人だから夢中になるとカメラ以外には目がいかないし、無類にヒトがいいからクルーが手を振るとそれに応えずにはいられない。こっちの視野にその手が入る。ねぇ岩崎さん、手を振るのをやめてくれない、あらそうごめんなさい、と謝られてもすぐまた手を振る。岩崎さんと争ってもそれは無駄というものだ。

 

左の写真はメインフィッシャーマンを揚げているところ。レールが曲がっているので手を掛ける必要がある

 

 

 

右は揚げたフィッシャーマン。ステイスルよりかなり大きい。常置する帆ではないので甲板まで持ち上げてくるのが大変だろう。

 


  でもこの人は後で写真を見たがすごい腕を持っているのに決して人の写真をけなさない。福田さんのは水平線が揃っているものね、などと不自然でなく褒めてくれる。心底人がいいのだろう。 テンダーを操縦するクルーはみんなに過不足なく写真を撮ってもらうために右に行き左に行き、時には停まりでいろいろ工夫してくれた。言葉は分からなくてもその熱心さは十分に伝わる。

 


 

 10時15分には撮影会を終わって本船は昨日とは違う埠頭に帰る。もうその頃には続々とたくさんの帆船が集まっていて、港の入り口からロストクの方向に指定された場所へ急ぐのだろうか、本船の周りはいっぱいの船だ。セイルアムス2005の時もそうだったが、歓迎の伴走船も多く、小さなヨットからモーターボート、消防自動車が乗っかった双胴船、そうかと思うとパイロットの船から埠頭にはドイツ海軍の駆逐艦かフリゲート艦かだろうステルス形式のスマートな姿で係留されている。本船はおそらく10万トン以上あると思われる客船と大型帆船(名前はよく分からない)の間の狭い空間に出船の形で見事に接岸する。パレードまでしばらくの休憩だ。ぼくはここでカメラのレンズを14~42mmから42~150mmに交換する。パレードに望遠は必須だ。昼食を終えて近くのマーケットで買い物をしている間に雨が降り出した。すぐ止みはしたもののどうも雲行きは怪しい。船に戻ると明日の下船に備えてスーツケースを整理しておく。朝の4時までに廊下に出しておけという指示だ。

 午後4時に出港のアナウンスがあった。いよいよハンザセイル・パレードが始まる。もっとも後になって聞いたのだが、今回は天候の都合かあるいは他の理由があったのか定かではないのだが整然と各帆船が並んで行進するパレードは中止ということだった。乗っているとなんだかあちこちと動き回って全くパレードという雰囲気ではない。それでも港内沿岸にはたくさんの見物人もいるし、お客を満載したフェリーのような船が付いてきたり、小さなモーターボートが一杯伴走したりしている。グリーンと赤の標識灯を過ぎて港外に出るといろいろな船があちこちにいる。ただ距離があるものだから肉眼でははるか彼方だ。

 


 

 その内に港の外は風が出てきてあちこちに白波が見える。そこを走り回るものだからオランダのリーボードを備えた帆船は白波を受けて盛んに船首から波をかぶっている。やがて横に見えるようになるとジブの下半分はすっかり濡れている。船にいうのもなんだけれども、けなげ、という言葉が思わず口をついて出る。


 

 その沖合で本船は錨を入れた。前の方に黒球を1個掲げる。もっとも実際には球ではなくて半円形の針金に黒い布を張ったものを直角に交差させたものだ。こうして錨泊していると右手からいきなりサーフボードが本船の船首を横切って前方に出てきた。そしてあっという間に右旋回して視界から消えてゆく。船の速度ではない。水面に接している面積がきわめて少ない上、大きな帆だからグライダーのような速度が出るのだ。推定だが90km/hは出ていたと思う。50ノットに相当するがもっと出ていたかもしれない。外洋であれだけの速度を出すのだから相当の腕前だ。

 


 

 午後8時には夕食。この日だけはバッフェ形式で、みんなで本船最後の食事を楽しむ。やがて甲板に出ると重なり合った雲の彼方から夕陽が輝く。落ちようとする太陽が厚い雲に覆われて僅かに開いた隙間から黄金色の光が海面にスカートのように広がる。神様が天から降りてくるみたいと周りはいうが、まさに絶好の撮影チャンスを与えてくれた。

 

 逆風になるので本船は早めに出発するといいうアナウンスがあり、帰って行く他の船同様、本船はトラフェミュンデを目指す。その夕日の射す黄金の舞台に先行している大型帆船が近付きぼくたちはカメラでそれを狙う。もうかなり寒い。岩崎さんたちと粘りに粘って撮った写真をいくらか自慢たらしいが見て頂きたい。