第5回 コモドアと提督
1854年2月、外輪蒸気機関をもつフリゲート艦、旗艦「ポウハタン」に搭乗したペリーが戦隊を率いて横浜沖に現われました。この時のパノラマ模型が横浜みなと博物館に展示されているのですが、その表示を見ると日本語では「ペリー提督」と書いていいます。しかし英語表示を見る とペリーの肩書きはコモドア(commodore)となっています。英和辞典のcommodoreの項を要約すると「准将、Captainより上、Rear Admiralより下の階級」とあります。
前回ご紹介したようにポスト・キャプテンは任官の順序で上に上がってゆく、つまり「先任」がものをいうのは間違いないのですが、コモドアになるのが最先任のポスト・キャプテンであるとは限りません。またまたホーンブロアの例になるのですが、彼が初めてコモドア(戦隊司令官)に任命されるときの様子をご紹介しましょう。
ホーンブロアは故郷のスモールブリッジ館で海軍本部からの書状を受け取ります。それには、
「海軍本部書簡
ホワイトホール
1812年4月10日
謹啓
海軍本部諸委員の指示によりご通知申し上げます。海軍本部は貴官を、艦長1名を随伴の戦隊司令官として直ちに任用したき意向であり、この任用は貴官の先任序列および身分の士官にふさわしいものとしております。ついてはこの任用を受諾する意志の有無を可及的速やかに海軍本部へご通知ありたく、また受諾の節は更に遅滞なく当本部に直接ご出頭のうえ、諸委員の指示および面談の必要ありと判断された国務卿の指示を口頭にて受けられたく、この段ご通告申し上げます。
啓白
海軍本部諸委員秘書 E. ネピアン」(高橋泰邦訳)
とあります。この書簡にはいくつかの重要な要素が含まれているのですが、それは、
ところで、コモドアが率いるのは艦隊(fleet)ではなくて戦隊(squadron)です。艦隊は提督(将官)が 率い、戦隊はコモドアが率いるという関係は、フリゲート艦以上の艦長はポスト・キャプテンであり、スループ艦の艦長がコマンダーであるのに似ています。それでは戦隊の規模はどれぐらいかを見てみましょう。
「決戦!バルト海」でのホーンブロアの戦隊は、
74門戦列艦(旗艦) ノンサッチ
シップ型スループ艦 ロータス
同 レイブン
ボムケッチ型スループ艦 モス
同 ハーベイ
カッター型スループ艦 クラム
の6隻です。ボムケッチ2隻というのは面白い編成ですが、これが後で大変役に立ちます。また、参考までに横浜沖に来航したペリー戦隊の編成を見ると、
汽・帆走フリゲート艦(旗艦) ポウハタン
汽・帆走フリゲート艦 サスクェハナ
同 ミシシッピ
帆走シップ型スループ艦 マケドニアン
同 サラトガ
同 ヴァンダリア
帆走シップ型補給艦 サウサンプトン
同 レキシントン
同 サプライ
の9隻です(上の「汽・帆走」というのは蒸気機関による外輪推進装置を持ちながら、多くは帆走に頼ったことを示しています)。このように戦隊というのは状況によって変わりはしても、戦闘艦が数隻から10隻ぐらいと考えていいでしょう。
もう1つ、コモドアで顕著なのはそれが臨時の任命であることです。任命された使命が終われば戦隊は解散され、コモドアはポスト・キャプテンに戻ります。したがってコモドアの基本的な身分はポスト・キャプ テンといえるでしょう。しかし、当然なことながら コモドア当時の業績が評価されれば、戦隊指揮官としての能力が認められるわけで、将官への道も早かったのだろうと思われます。
さて、将官ですが海軍では提督(陸軍では将軍といわれますが)といわれています。英語ではアドミラル(admiral)ですが、それへの昇任はやっぱり海軍委員会の推薦のように思われます。ポスト・キャプテンよりも更に少人数ですから当然どのキャプテン、あるいはコモドアが提督にふさわしいかは、情実を別にすれば海軍委員は十分に分かっている筈です。その提督ですが、先任順位以外に階級のないポスト・キャプテンと違って3つの階級に明確に分かれています。最初はリア・アドミラル(rear admiral)で昔の表現では海軍少将です。次がヴァイス・アドミラル (vice admiral)で中将、最後がアドミラルあるいはフル・アドミラル(full admiral)で海軍大将です。
もちろんこれは18世紀当時の英国海軍の話ですが、初期には艦隊規模が小さかったのでこの3つの階級で十分だったようです。しかし、英国が発展し世界各地に多くの艦隊を派遣するようになると、将官の構造も変わってきます。実際にその名の艦隊が存在したのではなく提督の階級を表す組織として、青色艦隊、白色艦隊、赤色艦隊という3つが存在していました。順位はその通りで青、白、赤の順に上位になります。提督に任命されると最初は「青色艦隊リア・アドミ ラル」になります。次は「白色艦隊リア・アドミラル」となり更に「赤色艦隊リア・アドミラル」となるのです。功績をあげ生きていれば次の段階は「青色艦隊 ヴァイス・アドミラル」です。こういった段階を順に登り、「白色艦隊(フル・)アドミラル」がいわゆる海軍大将の最後の段階です。「赤色艦隊アドミラル」が海軍大将の最高ではないかと思われがちですが、この階級は特に「アドミラル・オブ・ザ・フリート」と呼ばれて青、白、赤三艦隊全体を掌握する提督で、赤色艦隊だけの存在ではないのです(戦前海軍の「連合艦隊司令長官」に似ています)。
これをわが国では「元帥」と訳しています。ホーンブロアは最後に「元帥」になるのですが、正確にいえば「アドミラル・オブ・ザ・フリート」に任命されたということでしょう。元帥という階級は国により時代によって違うようです。わが帝国海軍の時代では元帥はいわば名誉称号のようなもので階級ではありませんでした。したがって東郷元帥といわれるのですが、正確には「海軍大将・元帥、東郷平八郎」となります。一方、第二次世界大 戦の時代のドイツでは元帥という階級がはっきり存在したようで、かの有名なロンメル将軍も元帥になっていて、ヒトラーは後期に元帥を多発したようです。
提督の中には何十隻もの戦列艦を指揮し華やかな海戦を行ったネルソン提督のような人もいれば、イギリス海峡でフランスの軍港を監視してその出撃を抑える地味で困難な作戦で、ほんの近くにいながら何ヵ月も本国に帰れない提督もいたのです。更にリア・アドミ ラルでありながら海戦で圧倒的な敵の艦隊に敗退し、軍法会議を経て政治的配慮から銃殺刑に処せられた提督もあったといわれています。功成り名を遂げた提督とは、周りにあまたの脱落者がいて、自らの努力と運によって生き延びた結果、ということになりそうです。いずれの時代、いずれの国であっても軍隊という組織はそういったものかもしれません。参考までに海尉、艦長、提督(左から)の18世紀当時の制服の写真を載せておきます。当時は夏服がなかったので、これで熱帯地方へ行ったら大変だっただろうなと思います。
なお、現在の海上自衛隊の階級でいうと、両肩に肩章をつけたポスト・キャプテンに相当するのが一等海佐で、コモドアに相当する階級はありません。将官では「将補」がリア・アドミラルに相当するのですがこの呼称は「海将補」です。その上が「将」で呼称が「海将」ですが、ヴァイス・アドミラルとアドミラルを兼 ねた存在です。また同じ「将」でも、海上幕僚長が海上自衛隊の最高位で1人しかいませんから、アドミラル・オブ・ザ・フリートに相当するのかもしれません。しかし、日本語でいう「元帥」といった感じはないようです。これらの関係から、英和辞典にいう「准将」という訳語は誤解を招きそうですね。